本日は衆議院議員の和田義明さんの育った実家の父親母親についてと、自身の生い立ちも調査しました。
父の海外勤務に伴ってパリで生活した中高生時代のこと、和田氏もまた海外勤務をこなすエリートサラリーマンになったこともご紹介します。
華麗に思える海外生活での意外な苦労話もまとめましたのでぜひ最後までお読みくださいね!
和田義明の実家は父母と一人っ子の家庭
和田義明さんの実家の父親は和田博興さんで、残念ながら2021年1月に他界されています。
お母様の名前は現在のところ不明ですが、お母様はお元気で鎌倉のあたりにお住まいなのですね。
母がちょくちょくお参りできるよう、大阪にあったお墓を母が住む鎌倉の近郊のお寺に引っ越し、無事納骨・三回忌法要を終えました。
空は雲ひとつない晴天。遠くに富士山の山頂が見えました。
今年のクリスマスは家族の大事な節目を終えることができました。寂しさは癒えませんが、一歩前進です。
引用:和田義明 インスタグラム 2022年12月
他界されたお父様への愛情が感じられる言葉がつづられていますね。
ここで和田氏のwikiプロフィールを簡単にまとめてみます。
- 1971年10月10日大阪生まれ
- 神戸市内の小学校と中学校へ
- 中学3年の途中からパリへ転居
- 高校卒業まで「インターナショナルスクール・オブ・パリス」に通う
- 1995年早稲田大学商学部卒業
- 1995年三菱商事株式会社へ。ペルーに1年間、インドに5年間滞在。ほかにも勤務した国は20か国にもなる
- 2016年衆議院議員となる
和田義明議員が子供時代に育った地は神戸です。
また、和田さんが両親と過ごした子供時代の関西の思い出の地として語っている場所が2か所ありました。
まずは兵庫県芦屋城山の高座の滝。
ご両親とともにハイキングに行き、お店で3人でおでんを食べるのが最高の楽しみだったと語っていました。
もう一か所は、神戸港メリケン波止場(現在はメリケンパーク)だそうです。
父親といわしを釣ったことを挙げていらっしゃいます。
フライにして食べるのがとてもおいしかったそうで、たくさん釣れた時には近所の人も集まってワイワイ皆で食べたということです。
お父様とお母様との懐かしい思い出なんですね。
そんな楽しかった子供時代でしたが、父親の転勤により中学3年の途中で育った神戸を離れてフランスのパリに一家で移ることになりました。
こちらには和田義明議員と夫人の直子さんとの出会い、そして町村信孝元衆議院議長の関係をまとめています。「和田義明と妻との馴れ初め!義父の町村信孝の後継者は想定外だった」ぜひ合わせてお読みください。
和田義明の実家!父は旭化成で海外勤務のエリート!パリ居住歴あり
和田義明氏の実家の父の博興さんは旭化成に勤めるサラリーマンで海外勤務もこなしたエリート、母親は専業主婦でした。
旭化成とは、化学、繊維、住宅、建材、エレクトロニクス、医薬品、医療等の事業を行う化学メーカーです。
当時と違いがあるかもしれませんが、平均年収は現代では40代で700万円台後半ということです。
海外にも拠点がある企業なのですね。
和田義明さんは中学3年の途中で父の転勤によって一家でフランスに居住することになり、高校卒業までパリの「インターナショナルスクール・オブ・パリス」に通いました。
いわゆる日本人学校ではなく、インターナショナルスクールに通っていたんですね!
インターナショナルスクールの授業は英語で行われるので、言葉がわからずに大変苦しかったといいます。
一年目は特に授業についていくのが大変だったとか。
学校から帰った後に家庭教師の先生が一日に2人来て勉強を教えてもらう日もあったといいます。
一つは英語、もう一つは苦手な教科を家庭教師から教わって頑張ったようです!
日本に戻った時には早稲田大学に行くほどですから、大変努力されたということがわかります。
勉強以外では、サッカー場でスポーツをしたり、友達とのホームパーティーもちょくちょくあり、いろんな国の友人と交流を持ったそうですよ!
このような経験が、和田義明さんのキャリア形成につながっていくのですね。
自民党の萩生田光一さんの議員になるまでのことをまとめています。「萩生田光一の生い立ちと若い頃!変なあだ名がきっかけで政治家を志す」ぜひ合わせてお読みください!
和田義明もエリート!でも海外勤務では水道からミミズが!
和田義明議員は、早稲田大学を経て三菱商事に入社しました。
超がつくほどのエリート商社マンだと思います。
三菱商事への就職難易度は非常に高いそうです。
なんと東洋経済オンラインの「入社が難しい有名企業ランキング」ではトップ200社の中で10位ということです!
有名大学を出ていても就職するのは並大抵の会社ではないようです。
直近の三菱商事の40代前半の方の平均年収は1500万円を超えているようです!
そんな三菱商事に入社した和田義明さんは、まずは自動車事業本部で事業投資・販売・店舗開発などの業務に従事しました。
その後入社3年で新会社設立のためペルーに1年間長期出張しました。
最後の5年間はインドの現地企業に出向し、企業再生に力を入れながらインドの隅々まで車を売り歩いたとのこと。
華麗な海外勤務なのだろう想像してしまいがちですが、お仕事自体は大変ハードだったのではないでしょうか。
また、以前に筆者が聞いた和田氏の演説では「インドではシャワーからミミズが出てくることもあった」と生活ぶりの過酷さにも触れていました。
すごい環境だったのですね。
へこたれてしまってもおかしくないと思います。
しかし和田さんは「大好きだった会社を辞めて政治の世界に入った」と語っていたこともありましたので、過酷な環境の中でもやりがいのある仕事として商社マンという仕事を楽しまれていたことがわかりました。
和田義明さんは本当にタフで周囲から頼られる人物なのではないかと思います。
様々な経験を生かして今後も活躍していただきたいですね。
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