本日は高市早苗さん(自民党)の生い立ちと若い頃について調査しました。
世襲の議員ではなくサラリーマンの家庭出身の高市早苗さんの生い立ち、若い頃のちょっとやんちゃなイメージの趣味や、親のすねをかじることなく大学を卒業したこと、そして議員になるまでのことを主にご紹介します。
どうぞ最後までお読みください!
高市早苗の生い立ちと若い頃がスゴイ!
高市早苗さんの生い立ちと、若い頃のびっくりな趣味や特技に注目しました。
高市早苗さんの出身は奈良県、選挙区も奈良です。
ご両親はすでに他界されていますが、父親はトヨタ関係の会社のサラリーマンで、母親は警察官(奈良県警)だったということはわりと有名かもしれません。
ご兄弟は弟さんがいらっしゃり、両親が共働きだったので高市早苗さんは幼いころから6歳年下の弟さんの面倒をよく見ていたそうですよ。
ここまでは、なるほど~!という内容かもしれません。
特徴的なのはここからです!
高市早苗さんの若い頃の趣味はバイク。
さらにヘビメタルバンドでドラムをたたき、ダイビング、空手…と活発なイメージものばかり!
通っていた奈良県立畝傍高等学校は指折りの進学校です。
高校はバイクは禁止だったのにバイク通学をしていたという情報もありますが…本当でしょうか?
高市さんの気に入っていた愛車はKawasakiの名車「Z400GP」でした。
いろいろなバイクに乗ってみたけれどKawasaki「Z400GP」が一番好きなんだそうですよ。
後述する松下政経塾の面接(松下幸之助さんとの面接)の前日にバイクで転び、ケガをしたお顔で面接に臨んだという武勇伝も!
さすがに現在はバイクには乗っておらず、30代後半で卒業したのだそうですよ。
大臣を務めるようになれば、なかなか乗るわけにもいかないのでしょうね。
そして神戸大学時代に打ち込んでいたのはドラム!
軽音楽部でヘヴィメタルバンドを組み、ドラムを担当していたのです。
ヘヴィメタルが好きな理由は、落ち込んだ時に元気が出るからなんだそうです。
激しくドラムを叩くためスティックの消耗が激しく、こちらにもかなりお金がかかったといいます。
ちなみに「Gi!nz 」という自民党の国会議員さんのバンドが以前から存在して、林芳正さんや山本一太さん(現在は群馬県知事)を中心として活動していたのですが、高市さんは参加していません。
高市さんによると「音楽性が違うから」だそうですよ。笑
Gi!nz はロック調のバンド、高市さんはヘヴィメタルですものね。
ほかにも空手は黒帯で、ダイビングもされるということですから、本当に活発な女性だったのですね。
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高市早苗は親のすねをかじらず大学に行った
高市早苗さんは、若い頃は両親の期待を裏切り続けたのだそう。
親のすねをかじらずに自力で大学に行ったというのはどういうことなのかというと…
なんでも高市さんは中学生のころから、ご両親から言われていたことがありました。
その内容は、自宅の近くにある短大に行って
- 南都銀行
- 奈良県庁
- 近鉄(近畿日本鉄道)
の3か所のうちのどこかに就職して、早めに結婚するということでした。
ご両親が指定した短大以外のところに進学するのであれば学費は出さないと言われていたのです。
しかし高市さんは神戸大学に進学し、親のスネをかじらずに自身で学費を工面して卒業したのです。
しかも第一志望だった慶応義塾大学にも合格していたのだそう。
ただこちらはさすがにご自身で学費を払っていくのは難しいと判断して、国立の神戸大学に通うことにしたのです。
調査したところ、高市さんが大学生だったころの1980年代の国立大学の授業料は、入学金を除いて18万円前後(年間)、一方で新卒の正社員の初任給は女性であれば6万円台(月間)だったとのこと。
もちろん高市さんは正社員のように稼げる状態ではない大学生ですから、アルバイトで学費を稼ぐというのは並大抵のことではなかったと思います。
高校生だったころにもアルバイトをしており、ある程度学費をためていたそうですが(これもすごいですよね!)、大学生になった後には家庭教師を4件も引き受けて、そのほかにも飲食店でも働いていました(こちらはホステスだったというウワサもあります。詳しく分かり次第加筆します!)。
そのさなかに軽音楽部でバンド活動にも精を出していたということですから、寝不足などされながら頑張っていたのだと思います。
もちろんのちに高市さんが国会議員に立候補しようとしたときにも、ご両親ははじめは反対したといいます。
ですが高市早苗さんは松下政経塾に入塾し、のちに政治家になるのです。
引き続きお読みください!
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高市早苗は就職内定を蹴って松下政経塾へ!
高市早苗さんは、大学4年で就職先が決まった後に「松下政経塾」のポスターを見つけて松下政経塾を受験しました。
ポスターの雰囲気から、楽しそうなところだと思ったのです。
記述式のテストや論文、英会話、体力などの試験を通過して最後に松下幸之助さんとの面接がありました。
この面接が強烈で…睨みつけられていただけ、というもの。
松下幸之助さんの鋭い視線があまりに怖くて、高市さんは話すことも動くこともできなくなったといいます。
バンドの活動などで緊張には強かったはずなのに…
目ぢからだけで人を固まらせてしまうパワーがある、こんなにすごい人がいるんだ。
こんなすごい人のそばにいたいと思ってしまったんですよね。
引用:高市早苗チャンネル
普通の人なら逃げ出したくなってしまうかと思うのですが…高市早苗さんはさすがの並外れた度胸がおありなのですね。
見事合格の知らせが届き、内定を得ていた就職先を蹴って入塾したのです。
松下政経塾は、特に政治家だけを養成する塾というわけではなく、日本のリーダーを育成するという目的の塾なんだそうです。
そしてなんと学費を払う必要はなく、逆に資金を受け取りながら経験を積むことができるのだそう。
このあたりは幸いしましたね!
アメリカに行って議員さんの手伝いをする研修も積みました。
日本でもテレビキャスターや、大学の教員をなどもしながら出馬のための準備をしていたのです。
はじめは参議院議員に立候補して落選、次の衆議院議員選挙ではじめて当選します。それは1993年(平成5年)の31歳の時でした。
このころには、両親も応援や協力をしてくれるようになっていたのだそうです。
さまざまな逆境にもめげずに努力を続けてきた高市早苗さん、立派な方ですね。
本日は高市早苗さんの生い立ちや若い頃の少し意外な過去について調査しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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