萩生田光一の生い立ちと若い頃!変なあだ名がきっかけで政治家を志す

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本日は自民党の萩生田光一(はぎうだこういち)さんの生い立ちと若い頃について、そして政治家を目指したきっかけについて調査しました。

世襲の議員ではなく自分で政治家を目指した人物で、そのきっかけは高校生の時に言われたあだ名だったということもわかりました!

どうぞ最後までお読みください。

萩生田光一の生い立ちと若い頃!世襲議員ではない

萩生田光一さんの生い立ちと若い頃を見ていきましょう。

萩生田さんは生まれも育ちも八王子市で、現在も八王子に居住しています。

世襲とか2世の議員ではなく、市議会議員からスタートして国政に出てきた人物です。

生家が大地主という情報もありますが、本人はこのように語っています。

私は、両親共働きのサラリーマンの家庭に育ちました。

中学を受験したくても、家庭の経済環境によってできませんでした。

引用:【CafeSta】みのりCafe

それでも萩生田さんは出身高校は早稲田実業高等学校で大学は明治大学(二部)と、私立に通っていたのでそこまで困窮していたというわけではないと思います。

しかし、生まれた家庭の経済環境によって受けられる教育が決まってしまう国には夢がない!非常にもったいないことだと考えており、日本の教育システムを改善しようと考えているのです。

萩生田さんは自他ともに認める「文教族」という、教育の政策に力を入れている議員です。

政治家になろうと最初に思ったきっかけは、「教育」とは直接関係はしていないかもしれませんが、興味深いエピソードです。

次の章では萩生田さんが政治家を目指すきっかけとなったあだ名について紹介しますのでどうぞ読み進めていってくださいね!

萩生田光一は変なあだ名をきっかけに政治家を目指す?

萩生田光一さんが政治家を目指したきっかけは高校生の時についた悲しいあだ名だったことがわかりました!

八王子の自宅から早稲田実業高校(当時は新宿区の早稲田鶴巻町にありました)に通っていた高校時代。

ある日、社会科の授業で

おうちが汲み取り式トイレの人いますか?

と先生から問われたことがあり、萩生田さんは当然のように手を挙げました。

ところが、クラスの四十数名のなかで手を挙げていたのは萩生田さんだけだったのです。

それからは「ぼっとん八王子」と呼ばれることに。

自分の地域(八王子)ではお金持ちの家であってもぼっとんトイレが当たり前で、そのようなことを気にしたこともなかったそうで、すごくカルチャーショックを受けて、大好きだった自分の街をはずかしいと思うようになってしまったのです。

※昭和53年(1978年)くらいのことだそうです。

それからというもの、「こういうこと(インフラ整備)はどうやったらできるんだろう…水洗化を早めることはできないのかな?」などと考えるようになったのです。

これが、萩生田さんが政治家を目指すようになったきっかけでした。

萩生田さんは高校生ながら市役所に電話を掛けて自分の家のあたりはいつ水洗トイレに変わるのかと問い合わせまでします。

(十数年待たなければならないと告げられ、またまたショックを受けてしまったそうです)

また、大学生の時にはこんなエピソードも。

「飲みに行った後の終電はすごく混んでいる。昼間にガラガラの電車を走らせていないで、終電を増やしたほうがいいのでは?」という提案を、国鉄(現在のJR)のお客様係に電話を掛けて言ったそうです。

その結果何かが変わったのかはわかりませんが、萩生田さんは自分が若い頃から変わり者だったと自負しているようです。

気になることがあったら改善のために行動する。

そんな政治家向きの少年だったのですね。

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萩生田光一は大学生の時から議員秘書を務めた

萩生田光一さんは政治に非常に関心を持っていて大学生の時からすでに政治家の秘書を務めていました。

八王子市議会議員黒須隆一くろす りゅういちさん(のちに八王子市長になる方です)の秘書です。

ここではスーツを着用して他陣営の議員さんたちには、自分が大学生だということを特に知らせずに、大人のように渡り合っていたといいます。

また黒須隆一さんも、萩生田さんを大人のように扱って責任を持つようにさせてくれていたそうです。

とても素敵な政治家のもとで勉強したのでしょうね。

ちなみに萩生田さんは早稲田実業高校に行っていましたが、2度停学処分になったため早稲田大学への内部進学がかなわず、結局一年の浪人後に明治大学の二部に入学して卒業しています。

平成3年(1991年)に当時の最年少の27才で八王子市議会議員になりました。

議員になってまずやったことは

  • 公園のブランコの下の地面にプラスチック板を張り付けて、雨の日の後にブランコの下に水たまりができないようにした
  • 乳幼児の医療費を市が負担することで無償にした(当時はかなり画期的だったそうです)

だったそうです。

当初から子供や教育の政策に力を入れていたのですね!

その後平成13年(2001年)には東京都議会議員選挙に初チャレンジで選挙区内でトップ当選を果たしています。

そしていよいよ平成15年(2003年)の衆議院選挙で東京24区から出馬して初チャレンジで小選挙区で当選しています。

そして現在に至っているということです。

本日は、萩生田光一さんの生い立ちと若い頃について掘り下げて調査しました。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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