小林鷹之さんは議員になる前は官僚(公務員)でした。
自民党の議員になるきっかけは、アメリカで勤めていた2009年のある日に谷垣禎一自民党総裁に手紙を送ったことでした。
日本の状態に危機感を覚えての行動だったそうですよ。
どういうことなのか調べましたので、どうぞ最後までお読みください。
小林鷹之は谷垣禎一氏にアメリカから手紙を送った
小林鷹之さんは、アメリカの日本大使館に勤めていた2009年に谷垣禎一自民党総裁に手紙を出しました。
ちなみにその時は自民党は野党だったので、谷垣さんは「自民党の総裁」ではありましたが、「内閣総理大臣」ではありませんでした。
どうしてそのような行動に出たのかというと
自分の元の職業は財務省の官僚(公務員)で、谷垣氏は長く財務大臣を務めていた。
自分は課長補佐の役職だったので大臣の側近というわけではなく、谷垣さんとは直接の面識はなかったが、自分が部下として谷垣財務大臣(当時)を敬愛していた。
谷垣さんなら自分の思いを受け止めてくれるんじゃないかと思って手紙を書いた。
引用:選挙ドットコムちゃんねる
そうすると谷垣総裁が返事をくれて、会ってくれるということになったのです。
自民党本部の4階の総裁室で谷垣総裁と対面し「ぜひ自民党から選挙に出させてください」とお願いしたということでした。
谷垣さんからは、「今の自民党から出るつもりか!本気なのか?」という、驚きも混じったような反応と意思確認があったそうです。
この時はまだ小林さんはアメリカの日本大使館に勤めていた立場でしたが、こうして衆議院選挙に立候補する準備を進めていったのですね。
次の章に続きます。
小林鷹之さんの妻と娘に関する情報をまとめました「小林鷹之の妻との馴れ初め!12年もの大恋愛の末の結婚!娘は中学生」こちらもぜひお読みください。
小林鷹之が議員になろうと思ったきっかけと経緯
小林鷹之さんが自民党の議員になりたいと思った理由は、ずばりアメリカに居ながらも日本の現状に不安を感じたからでした。
小林鷹之さんは世襲の議員ではなく、親族にも政治家はいません。
商社につとめているサラリーマンの家庭で育ち、鷹之氏自身も大学を卒業して公務員になっています。
当時は野党になっていた自民党の総裁・谷垣禎一さんに手紙を送ったのは2009年、ワシントンの在アメリカ日本大使館に勤めているときです。
小林さん自身が振り返っています。
仕事でアメリカ側と交渉する時などに、アメリカの関係者から
「いま日本と何か決めごとをしても、またすぐに総理大臣が代わるんじゃないの?意味ないね」などと言われることが多くなった。
アメリカとの信頼関係がどんどん崩れていくのを自分の肌で感じました。
引用:選挙ドットコムちゃんねる
それに仕事以外の場面でも、現地の友人や知人の日本への評価が極めて低いことを感じて驚いたのだとか。
この現実を肌で感じ、「悔しい、でも本当のこと。このままではいけない!」と一念発起します。
財務省を退職して国会議員になろうとした時には家族(妻を除く)や周囲から止められましたが、押し切って行動しました。
まずは選挙区の候補になるために応募する必要があります。
それまでは無職。
2010年、自民党の候補予定者になったのと時をほぼ同じくして娘さんも誕生しています。
実際に選挙が行われ、はじめて衆議院議員に当選したのが2012年12月のことでした。
小林鷹之さんのニックネーム「コバホーク」はどこから来たものなのか調べてまとめました。「小林鷹之「コバホーク」の由来!名付け親は自分!鷹は英語でホーク」こちらもぜひ合わせてお読みください。
小林鷹之が議員になる前はこんな人だった
小林鷹之さんの、議員になる前までの経歴を簡潔に紹介します。
- 1974年千葉県生まれ
- 1986年~開成中学高等学校に通学、中学3年で生徒会長をつとめる
- 1999年東大卒業、大蔵省(現在の財務省)入省
- 2001年ハーバード大ケネディ行政大学院に留学
- 2003年帰国、財務省で勤務
- 2006年結婚
- 2007年アメリカの日本大使館へ出向
- 2010年退職・帰国。千葉2区の支部長(次回の衆議院選挙の候補者)に就任、ほぼ時を同じくして娘誕生
- 2012年衆議院議員初当選
開成中学高等学校時代はバスケ部に所属して活動しました。
しかし進学校のため、慣例的に部活動は高校2年(新人戦)で引退することになっていたとのこと。
最後の大会で優勝できず、しかも早い時期に引退させられたことで不完全燃焼の感覚があったといいます。
大学ではスポーツをもっと徹底的にやりたいと思ったそうです。
そんな折に、東大のボート部が好成績を残しているのが新聞で目に留まりました。
祖父に聞いてみたところ、「東大には勝てる運動部がほとんどないが、ボート部だけは強い。
しかも4年間埼玉県戸田市の合宿所で生活して全員で活動する」ということを話してくれました。
祖父が東大またはボート部出身者なのかどうかは不明なのですが。
そこまで徹底的に取り組みたいと思い、ボート部に入るために東京大学を目指すことに決め、見事合格したのです。
ボート部では4年の時に主将を務めました。
またボートは一人でも欠けると練習ができないため4年生でも就職活動ができなかったといい、小林氏は留年しています。
そこまで部活に専念するあたり、すごい執念ですよね。
その後に社会人(官僚)となって、アメリカ留学や勤務を経て、上記のようなきっかけと経緯で国会議員となるのです。
これからの小林鷹之さんの活躍が楽しみですね。
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