村上智信さんは、福岡11区で当選した日本維新の会の衆議院議員です。
本日は村上とものぶさんの学歴、経歴、wikiプロフィールなどを調査しました。
お寺の息子さんですが、お経が下手で跡を継げなかったという話も飛び出しました!
どうぞ最後までお読みください。
村上智信のwikiプロフィール
村上とものぶ氏のwikiプロフィールを見ていきましょう。
息子さんが何人いらっしゃるのかは具体的にはわかりませんでしたが、少なくともお一人は2024年現在大学生です。
それから2023年にご自身が開催したセミナーにおいては、自分は一人暮らし中と語っているので、村上智信さんは単身赴任などで福岡11区内にお住まいだと考えられます。
趣味のテニスは中学時代から取り組んでおり、サッカーはワールドカップをきっかけに興味を持つようになり、30代から始めたとのこと。
50代になった昨今は、息子さんと一緒にサーフィンスクールでサーフィンを習い始めたそうです。
「いくつになってもチャレンジしないと面白くない」という考えで過ごしているといいます。
エネルギッシュで素敵ですよね。
ところで、これまで長年にわたってこの地域で議員を務めてきた武田良太さんについても紹介しています。
よろしければお読みください。
福岡11区で対決した自民党の武田良太さんについては「武田良太の家族(妻と子)!娘を男手一つで育てた苦労人!」こちらもぜひ合わせてお読みください!
次の章では村上智信さんの学歴と経歴を紹介します。
引き続きお読みください。
村上智信の学歴と経歴
村上智信さんの学歴と経歴を紹介します。
学歴は以下の通りです。
椎田町立椎田小学校
椎田町立椎田中学校
福岡県立京都高等学校
平成元年(1989年):横浜国立大学工学部物質工学科卒業
平成7年(1995年):東京大学大学院修了
平成7年(1995年):通商産業省に入省
福岡県立京都高等学校は地元の名門といわれる高校です。
資料によると2024年現在の偏差値は63。
もしかすると村上氏が通っていたころには偏差値がもう少し高かった可能性もありますね。
大学生、大学院生の時には受験生時代よりもはるかに勉強と研究に熱心に取り組んでいたとのこと。
決して日本の大学生にありがちな、遊んでばかりの日々ではなかったそうです。
理系ということもあり、はじめは研究職に就くことを想定していたそうですが、なんだか自分には合わないような気がして、中央省庁を目指すことにしたといいます。
平成7年(1995年)年に通商産業省(現在は経済産業省)に入省しました。
さまざまな部署や役職を経験して、勤務期間は21年に及びました。
その後に退職して政治家を目指します。
しかしながら、これまでは2度の落選を経験しています。
落選が続いていた間はコンサルタントの仕事をしており、東北大学の教授も務めていたということです。
村上とものぶはお寺の息子だが音痴で跡を継げず?
村上智信さんの実家は、地元築上町にあるお寺です。
ご本人によれば、お経を読むのが下手で家業の跡継ぎになれなかったといいます。
「わたしは、音痴なほうだったので跡取りになれなかったんですね。
弟が跡を継いでいます。
なので仕方なく公務員になって…」と語っています。
音痴だったからお寺の跡を継げなかったというのは本当かどうかわかりませんが、ご本人は一応そのように語っています。
仕方なく公務員になったというのも少し謙遜が入っているのかもしれません。
簡単になれる職業ではないですからね…
4人兄弟で、とものぶさんは3番目で次男ということなので、お兄さんとお姉さんが一人ずついらっしゃり、弟さんもいらっしゃるのですね。
家業のお寺の跡を継いでいるのは弟さんだそうです。
村上智信の人物像|鈍感力が冴えわたっている?
村上とものぶさんの人物像として、鈍感力がスゴイというウワサがあります。
ご自身の座右の銘は「あきらめなければ、夢は叶う」だといいます。
子供の時からドラゴンボールを読んでいて、悟空のようにチャレンジを続ければいつかは成功すると信じていて、選挙で2連敗してもまだ大したことはないと思っていたそうです。
村上さんは公務員として勤務するにつれて、日本全体をよくするためには一公務員ではなく政治家になるしかないと考えるようになり立候補を決意しました。
それを成し遂げるためなら、落選して自分の気持ちが落ち込むことなどは取るに足らないことだと考えているそうですよ。
ポジティブで素晴らしいことだと思います。
村上智信さん、これからの活躍が楽しみな方ですね。
ぜひ注目していきたいと思います。
本日は村上智信さんについて調査しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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