吉村崇さん(平成ノブシコブシ)は、幼い時に両親が離婚してしまったということはご存じの方も多いかもしれません。
父親と祖父母のいる家で育ちました。
この記事ではそんな吉村さんの生い立ちをまとめます。
さらに両親はそもそも入籍をしていなかったということもわかりましたのでその情報も合わせて最後までお読みください。
吉村崇は祖父母のもとで育つ
吉村さんは家から母親が出て行ったあとは父親と、父方の祖父母と暮らしていました。
父親は自由奔放で、夜に遊んでいて昼間は寝ていることが多かった、昼間には顔を合わせることはほとんどなく、やはり祖父母と暮らしていたという記憶になるようです。
祖父は明治生まれ、祖母は大正生まれの方で、祖父と祖母の年齢もかなり離れていたとのこと。
毎日祖母が作る食事は肉がほとんど出て来ず、お年寄りが好みそうな質素なものばかりだったそうです。
運動会の時のお弁当なども同様でした。
食事以外の生活面においても、個性的な環境で育ったとのこと。
例えば…
- テレビは祖父母が時代劇などを見ており、子供が見たいなテレビ番組は見せてもらえなかった
- テレビとかゲームは「悪」という考えの人たちだった
- はやりのドラマや曲を知る機会がなかった
- 高校生になっても21時に就寝するのが当たり前になっていた
などなど。
自身が育った家庭の特徴をご本人がこれまでにテレビ番組などで語っています。
さらに祖父母の元で育った中での特徴として、おじいさまやおばあさまの友人が家に遊びに来る機会も結構多かったということです。
吉村さんはお年寄りへの接し方に慣れているという話もありますが、もしかするとこうした経験が生きているのかもしれませんね。
人懐っこさが感じられる今の吉村崇さんの人柄は、このような環境の中で形成されたのかもしれません。
芸能界においての大御所といわれる方々の中でも、自然体で渡り合う様子がとても印象的ですよね。
オズワルドの畠中悠さんの生い立ちについてまとめた記事「オズワルド畠中悠の生い立ち!出身は北海道で実家はコンブ漁師!」こちらもぜひ合わせてお読みください。
吉村崇の父と母はもともと入籍していなかった
吉村崇さんが6歳の時に両親が離婚したといわれていますが、実はそもそも入籍をしていなかったようだと、吉村崇さんは語っています。
もともと入籍していなかったため、吉村さんが小学校に入学するにあたって何か不利益なことがないようにと「この際きちんと入籍しておいたほうが良いのではないか」という話が出ていたということ。
でも結局その頃に母親が家を出て行ってしまったのです。
小学生や中学生時代の吉村崇さんは、友達には母がいないことを隠していたといいます。
「参観には来ないけど、お母さんはいる」と言ったりしたそうです。
誰かに指示されたわけでもなく自分でとっさにそう言ってきたのでしょう。
勝手に切なくなってしまいます。
オズワルドの伊藤俊介さんと妹の女優・伊藤沙莉さんの兄妹に関する「オズワルド伊藤と伊藤沙莉との関係!3人兄妹で間にもう一人妹がいた」こちらの記事も合わせてお読みください。
吉村崇の父親と母親はどんな人?
母親は家を出て行ったのはほかに男性ができたことだと吉村崇さんは語っています。
母は喫茶店を経営していて、常連客の方が新しい男性だったそう。
また、母親は出て行ったあとも割と近くに住んでいたし、吉村さんも母の家を知っていたとのこと。
赤い車を乗り回して、煙草を吸っているような女性だったそうです。
吉村さんによると父もまた喫茶店を経営し、バブル期には不動産関係の会社もやっていたということです。
夜は家にいないことが多く、昼間は寝ている父。
家では無口で怖い人だと思っていましたが、外に出ると社交的で人懐っこさのある方でした。
たまに吉村崇さんを連れて外出する時もありましたが、そんな時は女性も同伴だったといいます。
吉村さんは一度だけ父の職場を訪れたことがあるそうですが、父のデスクには金髪の女性のヌードのカレンダーと「ススキノの攻略本」があったことをよくおぼえているそうですよ。
吉村崇は進学校へ
吉村崇さんはとても複雑な環境の中で育ったと言えそうですが、そんな中で北海道札幌手稲高等学校に進学しています。
公立校で、現在の偏差値は60とかデータによっては50台をつけているものもあるようです。
ですが吉村崇さんが通っていた30年ほど前は、偏差値はもう少し高かったと思います。
高校入試の段階では札幌市内でトップクラスとは言えないかも知れませんが、その次のグループに間違いなく入るような高校でしたね。
札幌手稲高校の特徴は何といっても入学してからが厳しいということでした。
もちろんもともと成績の良い子たちが入学しますが、学校をあげて大学進学に力を入れる環境になっていて、スパルタ的に勉強する学校として地元では有名でした。
卒業する時の大学進学実績は、周辺のトップクラスの高校を抜くほどの勢いだったのです。
札幌手稲高校に進学するには、そのことを覚悟する必要がありました。
札幌の公立高校の入試では、当時は面接をしない学校も多くありました。
進学校や中堅の学校などは軒並み入試に面接はなく、やや素行に問題ある子が入学してきそうな学校のみが面接を行って、身だしなみや言動などをチェックしているといった感じです。
しかし、札幌手稲高校だけは進学校なのに入試に面接がありました。
この学校で過ごす覚悟などを見極めていたのではないかと思います。
吉村さんがこのような厳しい学校に通ったのは、学力等が伴っていたのはもちろんですが、自宅から通いやすい場所だったということもありそうです。
高校を決める際などには、父親や祖父母も口出しをすることなく自由に決めさせてくれたそうなので、学力的にも合っていて通いやすい位置関係の学校にしたのではないでしょうか。
吉村さんは高校を卒業して大学には行かずにNSC(吉本)に進みましたが、このような進路の人は相当珍しかったはずです。
はじめは高校を中退してNSCに行こうとしたところ、「高校だけは卒業してくれ」とお父さんに引き留められ、高校卒業後に東京へ出ています。
今日は、平成ノブシコブシの吉村崇さんの生い立ちを見てきました。
これからの吉村さんの活躍も楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
スウェーデンに居住し北欧の情報を発信しているチャンネル・ノードラボのマホさんについて紹介しています。「ノードラボ マホのwikiプロフィール!有名なテニス選手だった」こちらもぜひお読みください!
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