本日は泉健太さん(立憲民主党)の学歴(高校と大学)の情報をまとめました。
泉さんの出身高校は大変人気のある進学校でありながら、現在は閉校してしまった札幌開成高校。
高校卒業後に立命館大学へしたことから、現在は京都選出の議員なのですね。
政治家を目指したきっかけは生まれ育った北海道で芽生えていたということもご紹介します。
どうぞ最後までお読みください!
泉健太の学歴|出身高校は幻の人気校の札幌開成!
泉健太さんの出身は北海道、人気の北海道札幌開成高等学校を卒業しています。
ちなみに泉健太さんは1974年7月29日生まれで、2024年現在の年齢は50歳です。
3歳の時に石狩市(札幌市の隣)に転居し、石狩市立花川北中学校から、高校は北海道札幌開成高校へ!
こちらは皆さん気になる点だと思いますが、東京の私立開成高校とは関係のない公立(札幌市立)の学校でした。
札幌開成高校は2017年3月に閉校していますが、とても人気のある進学校でした。
現在は同じ場所に新しい校舎が建てられ、中高一貫の「市立札幌開成中等教育学校」となっています。
こちらは中学受験をして入らなければならないのですが、現在も入学するのは非常に難しい学校です。
さて、泉健太さんが高校生だった当時の学校の話に戻りますが、札幌開成高校がは泉さんが通っていた当時も進学校で、とても人気のある学校でした。
偏差値は普通科で63、コズモサイエンス科で66とされているようですが、泉さんが通ってい当時は普通科しかなかったと思います。
私服通学ということもあり自由な校風で、学校行事などは大盛り上がりする学校として有名でした。
ここだけの話ですが、こちらの学校は進学校ではあるのですが、学校生活・行事や部活動などが楽しすぎて、現役で大学に進学する生徒は周辺の進学校に比べると少なくなってしまい、卒業後に浪人してから大学に行く生徒が多いと言われていました(実際にその界隈で高校生活を送った筆者の体感でもそう感じていました)。
しかし泉健太さんは現役で大学に進学しています。
泉さんは高校でも幼少のころから取り組んだ野球を続け、生徒会長までしていたということなので、思いっきり高校生活を充実させながらもしっかり現役で進学したというのはさすがですね!
そういえば、先ほど札幌開成高校は私服通学だったとご紹介しましたが、野球部の生徒は学生服で登校しなければならないという慣習がありました。
泉さんは私服通学の学校に通いながら、学ランで通っていたということになりますね。
(ちなみに私服通学の学校であっても、学生服を着る場合には気崩すことは禁止で、標準の形で着なければならないと決まっていました…)
充実した子供時代を送った北海道を離れ、このあと政治家として根を下ろすこととなる京都へ赴きます。
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泉健太は北海道から立命館大学へ
北海道出身の泉健太さんは、立命館大学に進学したことで京都に住むようになり、政治家になりました。
またまたここだけの話ですが、泉さんの出身校の札幌開成高校では、立命館大学に進学する人が割と多かったのです。
札幌で入学試験を受けることができたことも大きな要因かもしれません。
泉さんは学生時代から政治家にコンタクトを取り、政治の道に足を踏み入れていました。
大学生のうちから現衆議院議員の山井和則さんの事務所に出入りして業務をこなしたり、1996年に民主党が作られた際には、大学生ながら民主党京都府連の常任幹事に就任しています。
大学卒業後に参議院議員・福山哲郎さんの私設秘書となりました。
山井和則さんから福山哲郎さんを紹介されたということです。
泉健太さんが党の関係者の勧めで初めて衆議院選挙に立候補したのは2000年でしたが、この時は25歳で最年少候補者と話題になりましたが落選してしまいます。
初めて当選したのは2003年、29歳の時でした。
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泉健太が政治家を目指したきかっけは北海道の知事?
泉健太氏は小学生のころから政治家になりたかったといいます。
泉さんのお父様が石狩市の市議会議員を務めていたことがあるので、政治に関わる家庭に育ったからでは?とよく言われるそうですが…
泉健太さん自身は小学生のころから政治家になりたいと思っていたのだそうです。
「父親が市議会議員をしていたのは本当ですが、それは私が高校生くらいの時です。
私自身は小学生の時から政治家を目指していたので、私が父の真似をしたのではなく、父の方が私より後から政治家を目指したんです(笑)」
そんなに小さなころから政治家になりたいと思っていた理由が気になりますよね!
なんでも、泉さんには幼稚園にも保育園にも言っていなくて、小学校に上がるまでずっと家で過ごしていたそうです。
ご家族の影響でしょうか、日中はラジオでニュースなどを聞いて過ごしていたといいます。
これが社会の動きに関心を持つきっかけになったとのこと。
やがて北海道であこがれの知事が誕生し、「北海道じゅうが変わる!」という旋風が巻き起こります。
1983年に北海道知事となった横路孝弘さんですね。
横路孝弘さんはこの時に衆議院議員を辞職して北海道知事となり、知事を務めた後再び国政に復帰し、衆議院議長も務めた方です。
泉さんによると、横路孝弘さんは「北海道のケネディ」と言われていた人。
「ケネディ」とはどういうことなのか…
「年を取った人たちが裏でいろいろなことを決めていくのではなく、横路さんは表舞台でさわやかに住民と直接対話をして生み出された知事。
アメリカの大統領選挙に近いような形で誕生したから」
ということです。
北海道ではなかなかのブームになったとのこと。
したがって当時から政治に悪いイメージはなかったといいます。
実際に、泉さんは大学生の時に京都から北海道に帰省している際に横路孝弘氏にコンタクトをとっており、ここから徐々に政治活動に関わるようになりました。
ちなみに横路孝弘氏は北海道知事になる前までは、日本社会党に所属、知事から衆議院議員に復帰する際には新しい政党と動いており、この時に泉健太さんはコンタクトをとっています。
帰省していた北海道から京都に戻った泉さんは、自身が通う立命館大学の講師だった山井和則さんの政治活動を手伝い、山井和則さんから紹介されて福山哲郎さんの私設秘書となります。
経験を積み、2000年、25歳の時に衆議院議員に立候補してた落選、29歳の時に初当選を果たすことになるのです。
幼いころから目指しただけあって、最少年齢で立候補しているんですね(衆議院議員になれるのは25歳以上の人です)!
なんともすごい行動力の持ち主だと思います。
本日は泉健太さんの華麗な学歴、北海道出身ながら京都で政治家をしている経緯、そして政治家を目指したのは幼いころだったという驚きの一面をご紹介しました。
今後も活躍してくれることを期待しています!
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