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桑井亜乃は三姉妹の末っ子!両親もスポーツ好きの家族だった!

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桑井亜乃さんは、7人選ラグビーの審判員としてパリオリンピックのマッチオフィシャル(審判団)23人の中に選ばれました。

桑井さんは2016年のリオオリンピックには7人制ラグビーの選手として出場していて、選手とレフェリー(審判員)両方での出場は、ラグビー界では世界初のことです。

三姉妹の末っ子だそうですよ。

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桑井亜乃は三姉妹の末っ子!

桑井亜乃さんは北海道幕別まくべつ町で生まれ育ち、ご兄弟はお姉さんが二人いらっしゃいます。

いちばん上のお姉さんの志乃さん(しのさん)は桑井亜乃さんより7歳年上です。

すぐ上のお姉さん園乃さん(そのさん)は4歳年上。

三姉妹ともお名前が漢字二文字で「乃」でそろえられていて、とってもかわいらしいですよね。

ちなみにお父さんは健志さん、お母さんは法子さんとおっしゃいます。

桑井さんが選手として出場したリオデジャネイロオリンピックには、ご両親と姉の志乃さん園乃さんはご家族総出で現地まで応援に行っていましたよ。

お姉さんのお子さん(亜乃審判員にとってはおい・めい)が少なくとも合わせて3人はいらっしゃいます。

亜乃さんがお姉さんの子供をとってもかわいがっている様子も、時々SNSで紹介されていて

「でも、まだまだ大きくならないでほしい」などと複雑な心情?をつづっている時もありました。

お子さんはあっという間に成長するので、さみしい気持ちにもなりますよね。

よくわかります。

甥御さん姪御さんの中でも、大きい子はすでに10代になられていると考えられます。

桑井亜乃は三姉妹でラグビーをしていた?姉の影響で始めたのは陸上

桑井亜乃レフェリーの二人のお姉さんもラグビーをしていたのかなと、とっても気になりますよね。

結論から言うと、お姉さん方はラグビーはしていないと思われます。

後述しますが、桑井さんのラグビー歴は大学を卒業した後にスタートしているからというのがその理由です。

桑井亜乃さんは、ラグビーを始める前まで(大学を卒業するまで)は陸上選手として活躍していたんです。

そしてその子供時代の、陸上を始めるきっかけはというと…

お姉さんのマネだったのです。

陸上競技こそがお姉さんの影響で始めたこと、桑井亜乃さんのスポーツ人生の始まりと言えそうです。

お姉さん(7歳上と4歳上)が二人とも陸上を習っていて、亜乃さんは幼少のころから送り迎えする親御さんに連れられて練習場に出入りしていました。

待っている間にじっとしていられない亜乃さんに、親御さんが「一周走ってきたら、お菓子を一つ買ってあげる」と言ってくれた約束が始まりで走るようになったのだとか。

走る力がどんどんついたそうです。

その後小学生になってから本格的に入団しました。

競技場の周りを走っていたのが身についていたため長距離が得意になり、陸上選手として長距離からスタートしたのです。


中学生になってからは走り幅跳びへ転向。


のちに膝の故障によりリハビリ中でもできる競技(走らない競技?)で試合に出ることになり、そのために投てき種目に転向しました。


砲丸投げから高校では円盤投げに変わり、高校2年生のときに国体で5位に入賞、それがきっかけで中京大学へ進学し陸上競技を続けます。

桑井さん本人としては、大学では満足な成績は残せなかったそうです。

陸上をやり遂げ、大学を卒業したあとにラグビーを始めています。

「7人制ラグビー」がリオ五輪の正式種目に決まった大学生のころから、実はラグビー部の先生がラグビーに誘ってくれていたとのこと。

身体能力を見込まれていたのでしょうね。

そしてなんとラグビーを始めてからわずか4年ほどで、ラグビー選手としてリオ五輪に出場したのです。

誰にでもできることではなく、それまでに鍛えられた体力や筋力などすべてがかみ合って、何よりご本人の努力があってのことですね。

ちなみにお姉さんのマネで始めた習い事は、アイスホッケー、習字、日本舞踊、学習塾などたくさんありました。

二人いるお姉さんそれぞれのマネをしてこんなに増えてしまったのでしょうか。

ほほえましい感じがしますし、でも親御さんは大変だっただろうなと想像してしまいます。

父もスポーツマンで母は小学校教師

桑井さんの両親もとにかくスポーツが得意で取り組んでいたようです。

お父さんの職業は判明しなかったのですが、お母さんの法子さんは小学校の教師でした。

お父さんの健志さんは幕別まくべつ町軟式野球協会に所属して過去に優秀投手賞をもらった記録が残っています。

またある時には、両親ともに幕別町ミニバレー協会の大規模な大会に出場していた記録もありました。

地域住民の取り組みによるスポーツ大会ですが、時代的にもこうした活動が盛んだったでしょうし、白熱した大会となっていたことが想像できます。

お姉さん方だけではなく、両親も日ごろからスポーツとともに過ごしてたくさんのことを学ぶ姿を見せていたのですね。

また、高校時代のエピソードとして桑井亜乃さんがふりかえっているものがあります。

桑井さんは隣町の帯広おびひろ農業高校に通い、お母さんの法子さんも当時は帯広市内の小学校に勤務しており、6時台にお母さんの車に乗って朝練のための登校(お母さんは出勤)をする毎日だったそうです。

「とよふじ弁当」というお弁当屋さんが早朝6時台にも営業していて、いつもそこでお弁当を二つ購入し、一つは車の中での亜乃さんの朝食、もう一つはお弁当箱に詰め替えて亜乃さんの学校での昼食にしていたそうです。

教員をしていて忙しい毎日だった母の法子さんには、朝ごはんの準備やお弁当作りを省略できるだけでも負担の軽減になったことでしょう。

お母さんはのちに「とよふじ弁当がなかったら、生活できていなかった」と回想していました。

今は「実家に帰ったら母とカレイを釣りに行きます」(2021年のARUKAS QUEEN KUMAGAYAのインタビューにて)と話していた亜乃さん。

がんばっていた高校時代にお母さんの車で早朝から登校した思い出、そしてとよふじ弁当の思い出…とても大切なものですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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